2011年12月21日

Buone Feste!!

大抵この時期は一年を振り返り、良いこととそうでもなかったことと差し引きして、ともかく何とかやり過ごせたことに感謝する。

3月東日本大震災直後の帰国、それこそまだ『あまりの災害の大きさに驚いて止まった一時』を実は共有したように思う。決して忘れてはいけない体験で、あれからずっと日本のことが気にかかって仕方がない。力を信じて、遠いところから応援するばかり。

個人的には、決して順風とは言えない事のほうが多かったかも。だからちょっと気合いが必要で、秋頃からは気分一転、心身ともの強化とバランスを調整中である。何年かに1度はリセットする癖もあるので、その一連かなとも思っております。




2011年もまもなく終わろうとしています。
殊に古い近しい人たちの心遣いを、本当に有り難いと感じた一年でした。
皆さま、新しい年も相変わらずお元気で、穏やかな良い一年になりますように。

2011年12月18日

ブレラに、、

先週、久しぶりにミラノ・ブレラ絵画館を訪れました。

ただ今、モスクワ・プーシキン美術館印象派コレクション展開催中です。(2012年2月5日まで)

今回コレクションの中で、最も気にいったのがルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭』。緑の庭園で談笑する紳士淑女の一角を見事に描いています。『印象派』とは当を得てる!!


一方モスクワ、プーシキン美術館ではブレラとの交換貸し出しの『カラヴァッジョ展』が開催されているそうです。どなたか幸運にもモスクワ滞在ならば、訪れる価値ありではないでしょうか。

この絵画館、宗教画はもとより、19世紀初頭の芸術家たちのコレクションが豊富です。
私はなんと18年ぶり(ワオ!)に訪れました。いくつか印象に残っている絵画との再会、そして思わず、プラス印象派17作品を鑑賞できたので、かなり満足のいくものでした。1時間以上待った甲斐はあったかな。




ところで、

恐らくミラノは日々変わっています。中央駅は地下商店街が整備され、構内インフォメーションも国際空港並みに充実。郊外まで延びる地下鉄工事も着々と進んでいるようす。
おかげで例えば、今まで中心地まで何回か乗り換えが必要だった友人宅からも、大幅な時間の短縮になったり。

近代化に伴い、当然物価も高騰してるから、ミラノ在住の友人いわく、『ミラノ満喫するには、収入がいくらあっても十分ということがない、、、』だそうな。

でも、たまには都会へ出掛けるのも良いものです。特にクリスマスバカンス前は、イルミネーションも美しくて心暖まるってことも。

2011年12月2日

イタリア初、教科書のない高校

パノラマ10月26日号特集『こうやってスティーブ・ジョブスになった』からの一部要約。
ベルガモの職業専門学校で講師と生徒用に1500台のiPad2を購入。全校通信網を巡らしオンライン授業を行い、宿題もオンラインを利用する、書籍を利用しない新時代の学習方法を挿入。経費の節約にもなるという。
昨日まで全教科書11,5キロ(総額223,90ユーロ)をつめた重たいリュックを背負っていた高校生も、今日からは、700グラムの薄型コンピューター(月額20ユーロ)携帯での通学。文部科学省(?)で指定されている教科書に規制されない私立校の特権である。
もちろん初試みのIT機器導入による授業の進め方は、今まで以上に工夫しなければならない重要な課題もある。オンライン学習は便利で容易に学習することが可能になるが、それに伴う生徒と講師間のコミュニケーションの仕方も変化することも想定される。
学校側では、最新のIT機器を使用することが、現代社会における情報伝達文化の発展を学ぶ利点を力説。
生徒側からもiPadの利用は学習意欲が高まる意味で非常に肯定的。幼少時代から馴染んできた『ゲーム』感覚で勉強するから、学ぶことへの興味を持ちやすいというのがその理由である。
周りを見渡せば、確かにどん臭い高校生は少なくなっている、、、立ち止まって辺りを見渡すと、あまり普段の生活ではほとんど係わらないが、未知のジェネレ-ションが存在するではないか???(と気づくことが最近多い)

『便利』だと感心している私たちなんて、もう結構"古い"。意識が芽生えると同時に、コンピューターなんてペンや紙の代りに存在するものになっている世代が育っているのだ、と想像するだけで気が遠くなってしまう。

一方最近『タブレットは45才前後または以上に人気』の記事を読みました。
これは、35才前後または以下の世代は、長い文章書くよりは、ゲームやってる時間が長そうだし、いつでもどこでも音楽聞いてYouTubeが見られ、友達とコンタクトが可能という、コンパクトな手のひらサイズのコンピューターに一票入れそうだと想像できる。

もうちょっと大人は、コンピューターとの出会いがオフィスのハードディスクと想像すると、『ノート代わり』で書きやすい、見やすいというのも必須条件。『コンパクト』の定義が若干違うのだろうね。ある程度大きめの画面の方が疲れないし。有れば便利な夥しい資料も、一枚の薄型コンピューターが記憶収納でき、しかも軽量という事になれば申し分ないだろうな。
ただし、自分の頭に詰め込まなくてもよくなると、記憶能力が後退するのではないかとちょっと不安に駆られることもあり、ですね。
ジョブズ氏が亡くなって、とってもショックを受けている世界中何億億の人々のうちのひとりである。
最近発売になった"伝記" に伴って、過去の特集を見直す機会もあり、改めて刺激を受けているこのごろ。


また彼がものを作るにあたり、『人はわかる』ことに非常に敏感だったことを証言された記事もhttp://cgi2.nhk.or.jp/cgiblog/tb.cgi/39342 読みました。
私が常に重要だと考えている事でもあったので記しておきます。ま、私自身はここまで用心深くないから一般人のままなのですが。

物事に向かう姿勢の問題ですよね、いかに真剣であるかという。まだまだいま暫く、この方のことを思っていそうです。

2011年12月1日

『フランス人と日本人』ー武田邦彦

『フランス人と日本人』のメンタリティーの違いについての発言。覚え書きのために、リンクを張っておきます。

http://takedanet.com/2011/11/post_b58a.html

関連して

http://takedanet.com/2011/11/post_d981.html


武田邦彦という工学者だそうです。遡って発言を読む必要がありそう。

近所の郵便局へ行くと、窓口の女性に『何故日本は原発を持っているのか、私は断固反対』と必ず一言言われます。
私たちひとりひとりがもっと知り、その上で意見を持つ必要がある問題ですよね。









2011年11月18日

続き、NIKE



Hypnotic Poison のCM。

初めて見たときは、目を疑いましたよ。もちろん感動でだけど。
香水以外のところが美しすぎる。

ちなみに『ジャドール』のCMもかなりゴージャスで見応えありです。

最近里帰りしたKさんから帰仏と近況報告のメールの返事(の返事)が来たばかりで、フランスを訪問する"理由(目的)”が更にひとつ増えたというわけ。

2011年11月8日

NIKE

サモトラケのニケ像(当然レプリカ)を暫く前から探していたら、この夏偶然ヴェネチアの土産物屋(?)で見つかる。当然その程度のものを探していたのだが。フィレンツェの石材店の作品だそうで、私にとってはこれで十分である。

実物はルーブルにあるのだから、イタリアで探そうと思うのが見当違いかもしれないと思ってはいたものの、石材屋など置いてありそうなところは一応立ち止まっていたのは事実。だから迷わず購入。勝利の女神ってのもいいと思う。自分自身にはやや足りない"心意気"だから。今後の励ましのためにも。

さて、ニケをローマ字にしたらNIKEになるので、スポーツウエアブランド『ナイキ』と関係があるのかしらと探ったところ、実際にナイキの由来はここから来てるらしい。いかにも勝負に強い感じがするのはこのせい?
ついでに、企業『ナイキ』を更に探ってたら、元アシックスのスニーカーを輸入したのが始まりで、技術開発し別の会社で製造し始めたんだそうな。日本製運動靴は優れてたってこと?
その運動靴も『鬼塚タイガー』という、いかにも強そうでクロオト好みのメーカー名で売り出していたらしい。ちょっと長いというのが気になるが、実はまだ健在というのがすごい。(逞しい、、、?)

確かに『ナイキ』の方が洗練され、覚えやすいブランド名。そして、足についているマークが勝利の女神の羽根なら、早く走れるだろうというイメージに繋がる。鍛えるなら『NIKE』のスポーツウエアーを身につけ勝利を目指す、という個人的な勝手な理由になるわね。

ともかく本物を鑑賞しなくては、と次の旅行計画に発展するわけである。小さくても『絵』になるのだから、実物はさぞ迫力だろう、とさらに期待が募る。

ついでに『やや足りない心意気』と『ナイキのスポーツウエア』はどう発展したかというと、パリ旅行より身近な"スポーツジム通い”。テンションを盛り上げるのに、大いに役立っている。

2011年7月25日

MART 長い長い列


近頃朝晩涼しい日が続いています。今朝も9度、さて夏は何処へ。
あいにくの雨降りの日曜の朝、仕方なく予定を大幅に変更、こういう日は美術館めぐりに限ると、『オルセー美術館 印象派~後期印象派展』の最終日、MART に出かけました。

しかし皆考える事は同じ。夏期の観光客に加え、地元の人たちで既に長い長い行列。始めて遭遇しましたね、MART のこの賑わい。

『印象派展』と称される展示会で必ず何点かに出会うゴッホの絵画。色彩が個性的で、以前はどうしても好きになれなかった傾向の絵画ですが、好みは変わるってことでしょう、ますます惹かれるようになりました。

常設展示品も入れ替わるので、時々訪れる価値があります。

2011年7月21日

2011年の不思議

日光浴は、読書または雑誌をペラペラめくる程度で『何もしない』に徹する時間。

そこで拾った話題のひとつ、

今年2011年は年月日の4つの数字が並ぶ珍しい年。
例えば、1/1/11、11/1/11、1/11/11、11/11/11 というもの。
そして、自分の生まれた年の二桁に、今年なる自分の年齢を足すと合計が『111』になる。

10月は日曜日が5日、月曜日5日、土曜日が5日ある、これは823年に一度しか訪れない。

そういう今年は『Moneybags』、お金の成る年と言われているそうだ、、

いつの時代も、偶然を必然に導く統計とったりしてる方っているんですね~と関心しました。

2011年7月18日

バルサミコ酢クリームーキッコーマン醤油味

写真左のチューブの話。
肉料理やサラダに一味加えると美味しさが引き立つ『バルサミコ酢』のこと、料理に興味ありの方達には結構知られている話のようです。その製造法によるためか、普通のワインビネガーに比べて、酸味がまろやかで好ましい。

和食の『お吸い物』に代用する友達もいることだから、醤油味に近いものがあるってこと(?)

でもなんと、モデナの1912年創業老舗FINI社から、新開拓商品「バルサミコ酢クリーム、キッコーマン醤油入り」というのが発売になってるそうです。観光地の土産店で発見!

これはイケルかも。だってお醤油にお酢を足すことあるものね。

FINI社のバルサミコ酢クリームは、東洋と西洋の文化のドッキングだそうで、お寿司、刺身、魚料理はもとより、焼き肉、野菜、スティックサラダ、などなど、幅広く利用できる濃厚ソース風。

結構塩味(醤油味)きいてます。お試しあれ。

2011年7月11日

まずは、お誕生日おめでとうございます、先輩~

"K" さんへ、

多分今日はその数に、ちょっと感慨深い思いをしているかも。

出発点に近いところから参加させてもらった企業の、殊にこの "先輩" にはお世話になっていたので、ちょっと遠いところから「お誕生日おめでとうございます!」

少し大人年齢に抵抗があったのは遠い昔、実際『大人』になるとその時間は瞬く間に過ぎるもので、次はその早さにちょっと戸惑うこと数(?)年。
まだ様々な事に戸惑い、一喜一憂、少し迷路に潜り込んでしまった様な気がしている近頃。

こういう時に必ず思う「初心忘れるべからず」
イタリア語 でも Non bisogna mai perdere lo spirito iniziale
つまり、最初に思い立った考えを忘れるべきではない、となる。

しかし、先日日本語のよーく分るイタリア人との会話のなかで知ったことのひとつ。

日本人の考え方において、"時々初心に戻りましょう” は前進するうえでも意味がある。でもどうやら、イタリア人には(場合によっては)「前進することを拒否している」と解釈できるらしい。

彼らには鼻の先でふふん、とあしらわれること、なのかしらね。
確かに思い当たる事、いくつかあり、、

要注意です。













2011年7月7日

7月7日

<七夕祭り>

日本固有の「棚機女」信仰が、中国のきこう伝七夕伝説と習合したもの。

陰暦7月7日に織女星を祭る行事。五節句の一。技芸の上達を祈る。織女星はこの夜、天の川を渡って牽牛星と会うという星祭り。77日  古語辞典(角川)より

*****

野外映画(予定)を観に出かけましたが、小雨のため屋内に変更。7月7日の夜って雨のことが多いと思うのは、気のせいかしらね。



2011年6月29日

ガルダ湖のレモン

ドライブがてら頻繁に訪れるリモーネ(Limone sul Garda)。湖に沿ってレモンの栽培園が段々畑にたくさん設けられています。

リモーネの名前は元来ラテン語で"国境" に由来すると言われています。実際土地柄、孤立されていた年月が長く、ガルダ湖西岸道路の完成により(1932年)漸く自由に往来できるようになり、北欧諸国の観光客の流入が始まったんですって。

柑橘類は中国、インド方面が発祥の地で、ヨーロッパに輸入されたのは約1000年頃だそう。イタリアにはイスラム文化の影響で、シチリア島に到着したのが始まり、だというのが一部の研究家の説。
リモンチェッロ(リモンチーノ)は南部イタリア産ばかりではありません。

ガルダ湖のドライレモン各種。Zitrone とはドイツ語でレモン。ガルダ湖のどの村も殊にドイツ人に大人気。さすがサービス体制整ってます。

2011年6月16日

走るサラリーマン

季節も随分よくなってきたので、週末のヴェローナは観光客が溢れています。

今年多いのは何と言っても、断然中国人観光客グループ。ついでにドイツ語、ロシア語とメインストリートは外国語が飛び交っていて、珍しく高校生らしきイタリア語グループにもすれ違った時に、通り過ぎる間イタリア人かどうかを観察してしまった。

ともかく『ツーリスト』って楽しそうでいいな~とその頃が少し懐かしい。でも観光地へ行くと、大概観光客と同様に丁寧に扱われるので、好ましくあしげく通っています。




逆光で正面から撮れなかったのが残念。

この”サラリーマン”ミラノのドゥオモ辺りに居たような。ちょっと難しい状態で静止してるのが可笑しいのと、風になびいているネクタイや背広がリアルで感心、感心。踵だけでバランスとるのも大変そう、と思うが、時々は近づいてくる子供達と一緒に写真とるためにポーズも変えてるのね。




2011年6月7日

Il VITTORIALE

D'Annunzio のことを知ったのは、ペルージャ時代。
近代文学の先生が「ダヌンツォ研究家」だったせいで、講義が他のどの小説家の話をするときよりより熱が入り、生徒のひとりの私もおかげで興味津々、一言も漏らさずに聞き耳を立てて講習を受けていた。

だからあれから、時折 ダヌンツィオが関わった場所、作品にいくつか遭遇するときに一段と有名でエピソードがたっぷりあるこの方についてますます興味が湧いていました。
アンテナ張り巡らしておくと、引っかかる時がある、のですね。

さて、過去 Il VITTORIALE に出かけたものの、引き返したこと2回、しかし5月始め3回目の正直で、漸く入場出来ました(笑)


「Casa D'Annunzio(ダヌンツィオの家) 」の見学は所用約15分~20分。予約要、しかも入場にあたりバッグ等の持ち込み一切禁止、当然のことながら写真撮影禁止、入場人員10人までとなかなか厳しい。でも、彼のポリシー、美意識のことを尊重するならば、逆に当然だったかも、と充実した時間に大満足、また入場料の高さにもうなずけます。

「Museo "D'Annunzio Segreto"」はファンタスティック。ダヌンツィオの靴、部屋着の洗練された趣味には脱帽。靴なんて、今のイタリアンモーダも比ではない、時代を考慮するとかなり斬新なのです。
至る所に私の好みと一致するものが散らばっていて、庭園内散歩中もワクワクし通し、隅々まで見落としのないよう、十分時間をかけてたっぷり楽しみました。

文学の先生の語り口が熱くなっていた訳を妙に納得。好奇心が夥しく旺盛、そして明白な好みがあるというのは”魅力的”。 当時、当然のことながら女性にも大人気だったそう。(彼が女性好きだったのか?)同じ時代に生まれていたら、取り巻きの遠い遠いところのひとり、になりたかったに違いないと思うほどです。

Fondazione "IL VITTORIALE DEGLI ITALIANI"
25083 Gardone Rriviera (BS) - Italy
tel. +39 0365 296511 - Fax +39 0365 296512
http://www.vittorilae.it



ガルダ湖方面を観光する機会がある方、是非とも足をお運び下さいませ。

2011年5月19日

オルガン・ドゥオ、チャリティーコンサート

私が帰国中、四方山話会の何人かの有志達が立ち上がって実現した 東日本大震災支援チャリティーイベントの第一夜。
コンサートはお陰様で大好評、企画側も大満足の様子、皆さまお疲れ様でした!

14日(土)サン・ロレンツォ修道院で行われた愛さんとご主人の連弾コンビによるパイプオルガンコンサートの模様、ジャンピエロがYouTube にアップしてくれました。

http://www.youtube.com/watch?v=kHdv-1Jj3AM

私もチラリとね、出ていました。

2011年5月2日

帰伊報告

親しい方々へ



帰国中は皆々様忙しい中、相変わらずお付き合い頂き有り難うございました。

震災直後の到着で都内の電車は運休状態。しかしながら幸運なことにリムジン、高速バスを上手く乗り継ぐことができ、実家に到着するまでは予想していたほどの混雑混乱はありませんでした。(後に、翌日から成田便は欠航になったと聞いたので、驚いています。)

都内の強い風は、日本人の心に吹き込むかのようで、今思うとやはり殺伐としていたに違いない、、、

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に心からお見舞い申し上げます。

震災直後はすぐに多くの方々からお見舞いメッセージが入り、出発予定を知っていた知人親戚からも中止したほうがいいんじゃない?と心配してくれることも。本人は飛行機が飛べば、つまり成田は平常通り、成田から実家までは不都合もあるだろう、と予想していた程度。ここでは不安を募らせるニュースばかり報道されたので、無理ありません。

今からやはり思うのは、この時期に迷わず帰国して本当に正解だった。
実家は被災地から距離もあり、地震や原発に対する過剰な不安や心配はなかったと思うのだ。でも、日本列島全体に大災害のショックを受けていて、この事実に対して絶句してる状態が一週間ほど続き、約2週間後くらいから漸く、誰からともなく『頑張ろう』と立ち上がり始め、次第にみるみる元気を取り戻していく、遠くでは決して接することの出来なかっただろう日本の姿を見ることが出来たのだ。

日本を信用しよう(まあ、いろいろ憶測、反論はいつもある)、と再認識して帰伊を決断。飛行機も出発日から(ナント)通常運航になった、いやはや。

それにしても、帰伊直前に再び関東に大型の地震が続き、出発当日の朝、震度5を体験した時はかなり怖かった、、、。
どんなリスクもある世の中に生きているのだ、と実感。何が起きようとも悔いのないコクのある人生送らなきゃいけませんね。

こちらに戻り、早々から慌ただしく過ごしています。時差ぼけを感ずる暇はなかったけれど、さすがに移動中、目が回るってことも。でも半月過ぎてやっと頭も身体も回転してきました。

ご報告遅れてすみません、元気です。

2011年2月23日

モディリアーニ

ロヴェレートでモディリアーニ彫刻展開催中。
当然のことながら機会を狙って行くつもりでしたが、私がアート好きな事を知ってる友達がガイド付きグループを捜してきて、興味あるでしょと連絡くれました。

12日、あるサークルが企画した朝一のガイド付き鑑賞ツアーに参加。
モディリアーニがパリに着いて彫刻制作をしていたのは1~2年間。確認されている作品の数は25とされているそうだが、後に3点発見され、現代における研究家たちによると、合計で28作品を制作したとの見解だそう。しかしながら、そのうちのひとつは不明らしい。

ピカソやブランクーシの影響は当然ながら、当時のパリに住む芸術家たちの間で流行っていた、アフリカやアジア文化への傾斜や模倣と比較検証している。確かにアフリカ民族舞踊の仮面や、仏像なんかのシンプルさは似通ってるともいえるかな。

作品の数に限りがあるので展示数は’少ない’、その代りピカソとモディリアーニの絵画(まだ観てなかったもの)を思わず鑑賞できたことに満足。
近頃"ガイド付き”を好んでいる理由は、観る視点の幅が広がるから。(今回も申し分のない説明ぶり。)

また丁度始まったばかりの『 LOOK: "Voci del Futurismo. Trent'anni d'avanguardia"』 (6月12日まで)、トレンティーノ、ノン渓谷フォンド出身のデペーロをはじめとする『前衛芸術家展』、こちらはなかなか面白いものでした。

2011年2月3日

日本、食

ここトレントでも、暫く前から中国料理店のほとんどが日本食『寿司』の看板掲げてるっていう現象が生じている。中心地のスーパーマーケットでも週一寿司パックが入るほど、身近になってることにちょっとびっくり。

先日四方山話会メレンダ新年会で「巻き寿司トライアル」を企画したところ、おかげさまで大好評だったのだが、イタリア人参加者に感想を聞いたところ、『中華レストランのお寿司が好きでよく食べに行くの、でも今日みたいなのもいいんじゃない、美味しかったよ!』とのこと。

つまり彼らにとっては中華レストランで出てくるのがスタンダード、日本人が提案する"元祖?"巻き寿司は新作なのかしらね、と複雑な気持ちになったことは確か。 

さて、この寿司ブームの前日本食材が『健康食品』に通じると、目をつけていた方たち『Biological』フリークがいましたね。もちろん今でも。だから、以前和食ご飯を作ろうと思い立ったときは自然食品店へまず足を運んだもの。



biological ブームのおかげかBio『豆腐』はかなり一般的。
しかし、この豆腐堅くて、日本で食べてる厚揚げに近い。確かに大豆のモッツァレッラと言われても納得できる(でしょ?)

中国人友達曰く、中国での豆腐は固いんだそう、日本に入ってきて、食べやすくぷるぷるに開発されたのかしら。

冷や奴には適してなくても、味はお豆腐。お味噌汁に入れる時は、やや早めに入れて少し煮る、煮物には味が染みこみかえって美味しいかも、またまた揚げ出し豆腐は、水切りせずに揚げられる。

ちょいと片目をつぶって、身近に手に入るものを和風アレンジするほうが、目の色変えて日本食材を探すより楽ちんというのが私の考え。時々起こる日本食への郷愁の解消法である。
さすがに妙に白く輝くお米に薄い色彩の鮮魚の入った、1パック15~18ユーロの巻き寿司セットは買いませんが、お豆腐は時々かごの中に入れてしまうのだなぁ。

2011年2月2日

冬の食材

カルチョッフィが出回る冬の時期。日曜シェフのレシピです。

まず1)外側の固い取り除き、レモンを絞った水につけてアクを抜く。 2) 鍋にオリーブオイル少々、ニンニクとカルチョッフィを軽く炒める。




3)全体に火が通ったところで、刻みパセリ、ローリエ、パン粉、ケッパーを加え、水少々を足し蓋をして、弱火でおよそ3~40分くらい煮込む。

昔々載せた「食材辞典」をリンクしてみました。

2011年1月24日

distruggere

<distruggere>他動

1,破壊する、壊す;大損害を与える、だいなしにする
distuggere una città  都市を破壊する
Il raccolto è stato distrutto dalla grandine. 雹で収穫は手ひどい打撃を被った

2,消滅させる; (敵、害虫などを)撲滅する、絶滅させる
distruggere un documento 文書を破壊する
distruggere le prove di un delitto 犯罪証拠を隠滅する
Il fuoco distrusse tutto. 家事ですべてのものが焼失した
distruggere un esercito nemico 敵軍を壊滅させる
distruggere gli insetti che infestanoun ambiente 害虫を駆除する

3,消耗させる、衰えさせる
distruggere la salute  健康をそこねる
L'amore lo distrugge. 枯葉恋に身をやつしている。

4,(夢、希望などを)破る、打ち砕く
Tutte le sue speranze furono distrutte. 彼のすべての望みはたたれてしまった。

5,溶かす、溶解する
(類語):修復不可能なほど徹底的に過会することを示す、破壊度の強い順に並べると、distruggere, rovinare, demolire  となる。rompere は一部分を壊すことで、なお修復可能な程度を示す

// distruggersi  (再)
1,健康を損なう、身体をこわす
Si distrugge con l'alcol. 枯葉アルコールで身体をぼろぼろにしている

2,(文)やつれる、憔悴する
distruggersi di dolore 悲嘆にくれる

//代
1,(自然に)溶ける; 消滅する
2,(国家などが)崩壊する
〔ラテン語、destruere、 de (否定を表す接頭辞) + struere 'costruire ' (「壊す」が原義)

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長い間ご無沙汰失礼しました。
実は理由はこれ。流行の強力インフルエンザで健康を損なってたわけです。