2006年12月21日

プレセ-ピオの羊の群れ

 毎年、街のクリスマスの飾り付けが始まるのが早まるような気がする。早いところで11月の木の葉がすっかり落ちた頃、1年のうちいちばんモノトーンともいえる時期には、路地にイルミネーションが灯され人々の気持ちを駆り立てる。

トレントも近年恒例になったメルカティーノ・ディ・ナタ-レ(クリスマス小市場)が始まる11月最後の週末頃からにわかに活気づいてくる。イタリアアルプス地方と北ヨーロッパ文化とが交わるこの地方のメルカティーノが、クリスマスシーズンの雰囲気をいっそう魅惑的にするのだ。

我が家でも、毎年12月中旬にはモミの木を買い飾り付け、その脇になによりも伝統的習慣に従ってプレセ-ピオを置く。プレセーピオを飾るのはエピファニアまでのわずかな期間であるが、このジェズ・クリストが生まれたシーンを再現したミニチュアを、1年しまっておいた箱の中からひとつひとつを取りだす時から、平穏で寛大な気持ちがどこかに宿るような気にさえになってくるから不思議だ。

今でも大切に保管してある山小屋は、グレッグの幼少時代の父親との共同作業の傑作で、小枝を集めてひとつひとつ糊付けしてあり、煙突も窓もあり、屋根には風で飛ばされないための石までが整列されて置かれている。窓には花柄の絵の飾りが施されたよろい戸がついていて、ガラスもはめ込まれている。石も緑の苔、赤い花の彩りも鮮やかな絵の具で色つけされていて、トレンティーノの山のどこにいっても見かけるような家を小さくした風の凝った造り、いかにも丁寧に作ってある。

カンティーナにしまっておいた箱の中には、3年前に93歳で亡くなったノンナ・フィオリ-ナの形見の馬小屋とマリアやジュゼッペもあり、この時期にはノンナのこともあらためて思い出す。

森の苔を敷いた台を作り、まず街の入り口を示す門をおく。そして順に、道路や風景をつくっていく。箱のなかから馬小屋やシュロの木、羊飼いや仕事の合間に一休みする農民、笛を吹く人など、それから一匹一匹その顔つきや動作の異なる羊が、手のひらに入るくらいの小さなサイズからやや大きめのものまで、箱のなかから思いがけずでてくる、そしてでてくること。

トレントに住み始めてから、いつか始めてほんものの羊の群れを見たことがあった。ちょうど通りかかった山間の村祭りで、小さく囲った檻のなかに羊を放し飼いにしていたのだった。囲いのなかでは、最初の羊のあとに他の数匹の羊が、後ろの羊たちもまた前の羊たちに、そのまた後ろもといった具合に、前の羊たちのお尻か足もとを続く羊たちがついていき、さらに少し横に広がり途切れることなく、えんえんぐるぐる回っていた。この群れがまるで大きな綿の塊のようにも見えたのだった。

羊の習性らしい、ちょっと迷いながら他と一緒に指導者の後を突いていく姿などはなんだか人間とそっくりで、迷える子羊たちを誘導する『羊飼い』は、精神の司牧者の意味でも使われているパスト-レ(羊飼い)であり、その比喩がとても的を得ていることに、思わず感心したことを憶えている。

この群れをますます思い出しながら、馬小屋の前にマリアとジュゼッペ、そのあいだに誕生したばかりのキリストを置く。この誕生を聞いて祝いにやってきた羊飼いと犬や、彼らに迷わずついていく数匹の羊を置き、やや大型のうしろに小型をおく。(これも習性だろうか)

少し遅れ気味の大型の羊は顔を少し上げて遠方を見て自分の行き先を確かめている様子。少し群れから外れてしまって困った様子の子羊や、他の羊のあとを迷わずついていく羊もいる。そして馬小屋の前はお祝いに駆けつけた人々で賑わっているというふうだ。

プレセ-ピオを飾る作業はグレッグの幼少時代の家族の行事で、父と子の共通の大切な思い出のひとつらしい。当時は家の小部屋全部を使って、満天の星空の壁紙を貼り、輝くほうき星をひとつ、そして大掛かりな電気の装置を設計して、夕暮れから街に灯る明かりもつけていたとか。その頃のことを満足そうな顔つきで話すのを、聞くのがなぜか私は好きなのだ。

今は、小さな羊の群れのあるプレセ-ピオを飾ることが、私と彼の年末の習慣になっている。

〈追記〉
さて、2006年残すところわずかになりました。
長らくご無沙汰している皆様に、それからいつもお世話になっている方々にも、この場を借りて感謝を込めて年末のご挨拶を申し上げます。
至福な新年を迎えますように。

2006年12月7日

Volver-Tornare

2005年スペイン映画。監督:ペドロ・アルモドヴァール(注:伊語読み)

ペネロペクルス演ずる主人公が妹と娘とともに、母親の墓参りの帰りに、故郷の年老いたひとり暮しの叔母を尋ねるところからストーリーが始まる。風車のある長い道のりを車で走るからスペインは広いことと、そこが風の強い町であることがうかがえる。

彼女は娘と愛人と暮しているが、愛人は今日失業したばかり、それほど裕福でない様子だが、とりまく人々とともに、日々を十二分に暮している。
日常の突発的な出来事を通して、近所に住む友人たちや、妹、故郷の隣人、母親と自分の娘との密接な優しい関係が描かれている。

この奇妙な出来事に関して、どんな角度からも誰も非難していない人間関係がとても面白い。前回みた同監督の『Tutto su mia madre』(邦:オールアバウトマイマザー)の時も感じたが、スペインは人々の共存距離がイタリアに比べるとまだ数センチ近い、という感じ。心打たれるくらい。

映画の中で、ペネロぺクルスがアコースティックギターの伴奏で歌う曲がとても良い。切ないけれど、あたたかく、キューンときます。

しかしぺネロぺクルスという女優は不思議。(イタリア人の発音では、ぺネロッぺクルッツという風に聞こえるんですが。)

彼女の出演したイタリア映画『Non ti muovere』(2004年)は本当に泣けてしまう映画で、それも彼女が演ずる移民のアルバニア人が、それはそれは見事にひどい化粧と洋服や身につけているもののセンス、ハイヒールを履いて歩く後ろ姿が気の毒としか言いようがなく、身なりも運命もとてもかわいそうだったのが印象的だった。映画の内容ももちろんだったが、彼女が上手すぎてイタリア人の友人たちもこぞって泣いた、らしい。

いろいろ観ているわけではないのけれど、この方って『ごく普通で、けなげに力強く生きている、人の良い女性』を演じたら、実生活もこの傾向があるのではないか、と信じてしまう力がある。

2006年12月4日

dattero-ナツメヤシの実

ここではダッテロと呼んでいますが、辞書でひくとナツメヤシの実のことだそうな。ちなみに、wikipedia日本語版にはデーツと載ってます。

イタリアに入ってくるのはチュニジアやモロッコ産がほとんどだそうですが、ある果物屋でイスラエル産のナツメヤシを見つけたので買ってみました。

ちなみに、イスラエル産というのが最高級品といわれているそうです。一般的にイスラエル人(ユダヤ人)は植物の耕作に秀でている民族と考えられていて、それは水が貴重だった時代(言ってみればそれは現代も変わらないかもしれないが)に、作物の生育に必要な水分を供給する灌漑法を最初にとり入れたのはこの民族という理由らしい。

実は大きめでたっぷり、とっても甘く、ひとつで充分満足。乾燥したダッテロを食べたのですが、これはどういった種類のデザートにも匹敵する美味しさかも。

PS.ちなみに接写は難しいですね、焦点があう写真がなかなか撮れない。でも載せておきます。