2006年10月31日

トリノ(2)リンゴット

最近は事前調査をよくせずに出掛けるという癖がついているので、盛んにニュースでこの『Salone Internazionale del Gusto』を話題にしていたという程度の理由で、翌日はリンゴットへ直行。なにしろ味やワインに関するフィエラと聞いたりすると、グレッグも私もそちら側へ反応してしまう性質なのだ。

トリノ市内 もスローフード主催で26日から30日まで開催されるという『味のサロン』ムード一色になっていて、土曜日の午前から近郊は車が混雑。どうやら車を一番遠い駐車場に止めてしまい、ショッピングセンターの通路を抜け通り一度外にでて、漸く入り口に到着。

すると、長い行列ができていて、列の最後にたどり着くのも1キロはゆうにありそうだった。入場にこれほど並ぶなんてウフィッツィくらいしか見たことがない。これはオーガナイズ側の失敗じゃないの、と不愉快に思いながら、入場券売り場の様子を見にいくと、この長い列はインターネットで入場券を予約した人たち専用だった。当日券との金額の差は2ユーロ、また混雑を予想して殺到したに違いない。他にグループ用、個人用、招待者用などに6つほど窓口があり、こちらには一列に4,50人くらいづつ並んでいる。でも聞けば一時間は待っていると嘆いている。

それにしてもまったく動かないのは、窓口で当日券を買いながらインフォメーションを尋ねたり、バンコマットが作動しないなど、さまざまな理由だろう。私たちも一時間以上待っているので、文句のひとつも言いたくなる。訪問者数を予想しながら、何故購入窓口を機械化してないの、とか。

入場料は20ユーロである。ヴィニィタリ-よりやや安いけれど、有名な作品の展示されている美術館やコンサートと然程変わらない金額ですよ。

会場はもうそれは『広い』。通路にチーズ通り、オイルと加工食品通り、肉とサラミ通り、ドルチェとスピリティ通り(もちろんイタリア語で)なんていう洒落た名前をつけていて、しかも一通りに50件以上出店しているから、とても1日では回り切れないことが明らかだった。

ほかにもイタリア各州の観光業者や、世界各国レストラン(築地からも寿司屋が来ていた。本物の寿司職人だ、と感激。)、イタリア各州の地方料理をもてなすスペース、カフェ・ラヴァッツァ、パルミジャーノ・レッジャーノ、サン・ダニエッレなど、イタリア特産を強調するプロモーション、別館にエノテッカ(別料金)、アフリカ、南アメリカなどのパディリオン、自然食品パディィリオンなどなど、飲食に関するある種の独特なセンシビリティを持つ業者たちが参加していた。

しかし、イタリア人とは本当に飲食には興味がつきない人種なのだと感心する。しかもどれも不思議なものでなく、『美味なもの』で『芸術的』な感じなのである。

チーズの数の多さは知っていたが、さすがにスローフ-ドが関係しているだけに、チーズの熟成にも工夫を凝らしているものもあり、値段も聞いて驚くものが多い。


バルサミコ酢も小瓶で80ユーロといった高級品もあった。これは25年熟成のもので、『酢』とは思えないまろやかな風味。25年味を損ねずに保存する技術や手間を考えると、高額になるのも仕方がないにせよ、これを隠し味にして料理するとは、なんと贅沢なことか。

エノテッカには入場しなかったが、丁度運良くハム・サラミ類とワインの組み合わせのプロモーションの一回に参加でき、プレスの人達と混じってトスカーナの赤ワイン『モレリーノ・ディ・スカンサーノ・リセルヴァ』を試飲をすることができた。ここも結構贅沢な企画で、著名なシェフがワインに合わせておつまみ(日本風にいえば)を作るというもの。ハム類だけなく、それと合わせるパンも香草入りというシンプルに見えるが、一皿でもかなりの凝り様なのだ。

会場の3分の1も回らないうちに、気に入ったものを全て買い求められないことに気がつく。それぞれに美味しいが、特別なものすぎて、試食する機会を選ぶのに苦労するに違いない。グレッグなどは、スーツケースを持ってくるべきだったと悔やんでいたが、もし買い始めたらスーツケースにも入りきらないほど、それから値段は予想もつかない。

時には試食しながら、時には眺めるだけだったが、食べ物の名前のついた通りを歩いていると、いかに普段口にしているものがシンプルであるか、ということがよーくわかる。個人的に、普段のシンプルな食事も味付けが好みに合い、大抵のものは美味しいと満足しているが、アイデアはいくらでもあり、手間はどんな風にもかけられ、さらに工夫を凝らし創造的になるものなのだ。

午後遅い時間まで、いささか疲れて飽きてくるまで少し長居した。

それからトレントに戻る時間を考えて、かなり心残りだったが会場を出た。その日『スローナイト』というポスターも確かトリノの街中で見かけたっけ、これも残念なことに無視することに。

トリノは、中心地もほんの一部しか知ることができなかったけれど、ミラノやローマなど他の大都市とは異なる印象だった。商店街を歩く人々や、ウインドーディスプレーや、建物などから受ける印象は、進歩的なものや新しい文化を積極的にとり入れる都会といったような感じだった。

新しいものと古いものが共存している景色などは、イタリアというより、ちょっと東京やロンドンやニューヨークなんかに似た、ドライな感じを受けた。

高速を走りパダナ平野を抜け、ヴェローナまでくると、すっかり馴染みの景色が見える。そこから北方向へ約90キロにトレントがある。イタリアにはいろんな顔があるな、なんていつも思うのだ。

トリノ(1)

ニュースで『Salone Internazionale del Gusto』 (世界味のサロンとでも訳す?)がトリノで開催されていることを知って、思い立って一泊2日で出かけることにした。
今年の冬季オリンピックの開催地でもあったことと、トリノが舞台になった映画『i giorni dell’ abbandono』 ではとても美しい町だという印象だったから、一度は訪れたいとかねてから思っていた町のひとつだ。

工業が発展している町という印象で、それ以外はあまり詳しく町の歴史を知ろうと思ったことがなく、個人的な興味の対象になっていた事といったら『シンドネ』くらいだった。それも何年か前の火災が理由で修復中だったはずで、それ以外にトリノへいく特別な理由はついぞ今までなかった、なぜか。

トレントからおよそ車で4時間半。高速道路を降りると、目の前に全く想像していなかったような近代的な都会の姿が現れ、かなりわくわくし始めた。
トリノの象徴でもある、モ-レ・アントネッリア-ナを目指した。1862年に設計され、資金不足のため一度市に譲渡され1889年に漸く完成した。パリのエッフェル塔に付随するという高さ167,5mの塔で現在は映画博物館として利用されているそうだ。

車を止めて近くまで歩き、脇のインフォメーションセンターで地図を手にいれるついでに、簡単な散策のアドバイスを受ける。インフォメーションセンターの人はなかなか感じがよく、ともかくトリノは好印象。

それから徒歩で。長いポルティチが続き、古本やCDを売る出店が多く、しかも値段もトレントに比べて安価で豊富なこと。 町の中心にあたるカステッロ広場はバロック様式の正面玄関のパラッツォ・マダマ、広場の奥にパラッツォ・レア-レが見える。1865年までイタリア国王サヴォイア家の居住の殿だったところ。

おもにローマ通り、サンカルロ広場、ヴィットリオ・ヴェネト広場に続くポー通りはお洒落な店も内装も歴史を感じさせる古典的なカフェも多い。

トリノは1861年イタリア統一王国成立から1946年国民投票で共和国宣言するまでの間の、イタリアの政府の中心になった最初の町だったそうだ。

立ち並ぶ古い建物の豪華さはその王国時代の豊かさが伺え、同じ位数多い近代建築、広い道路やシンプルでモダンな照明設備は、フィアット社に代表される盛んな機械工業の発展を示す例だろう。郊外にはかつてフィアット社の従業員のために建築されたという高層のコンドミニアムが相当な数の棟が立ち並んでいる。コンドミニアムからほど近い、現在のリンゴットを含みそこに隣接するガラス貼りのショッピングセンターは、かつてのフィアット社があったところだそうだ。その敷地の広さといい、コンドミニアムの数の多さ、一時期の景気の良さの痕跡だろうな。

流行からは随分はずれているのだろうけれど、町のはずれにあり建物も今では時代遅れといった、訪問者も少ない印象を受ける自動車博物館へ寄る。F1を走ったフェラーリ(歴史的?)や、『車』が生活に出現した時代の娯楽についての記録などが展示されている。 これはグレッグの希望で入場。

中心地の観光案内所でホテルを紹介してもらう。リンゴットの時期はかなり込み合うことが予想していたたから、ほどほどの金額で会場からもほど近いホテルが確保できたことはかなり運がよかったかも。

ホテルにチェックインしてから町の散策に出かける。(普段出無精でも、なぜか旅行先ではフル回転になる私たち、とくに彼のほうが、である。)

今回のもうひとつの目的は『トリュフ』と『ボリート・ミスト』だったから、案内所、バール、店員などなどあらゆる人々にトリノで美味しいものが食べたいからどこへ行くべきか尋ねまくったのだ。 ほとんどのひとが地方料理レストランを知らず、レストラン街やカフェの多くある地域を示してくれ、とにかくそこへいけば美味しいものがあるはずということだった。

日も暮れてきたので散策のあと、その地域を目指したところ、レストランらしきものはほとんど見当たらず、(多分まだ早い時間だったのかも)あるのは、少しお洒落なモダンな感じのカフェばかりで、ブッフェ式の前菜とアペリティフを飲んでお喋りする仕事帰りの人々を多く見かける。

あらためて通りすがりのトリノに住んでいる人々に尋ねる。
漸く最後に聞いたカップルがアドバイスしてくれたのは、ポー川の向かい側にある一件の名前、安くて美味しいし、ピエモンテ料理を出すとの話だった。

すっかりピエモンテ料理が頭にこびりついた私たち、タクシーを使って迷わずそこへ行く。

名前を教えてくれたカップル(60代)いわく、今やトリノに住んでいる人達は肉料理というより、魚料理など少し軽いものを食べるのが流行りなんだそうだ。たしかに生魚を出すという、日本風にいえばイタリアンカフェもあったし、世界各国のレストランの数に劣らずヴェジタリアン専用の店もかなりめだった。

つまり紹介してくれたのレストランは、いわゆる大衆レストランで、オーナーらしき人は愛想もよく、地元の人々で賑わっているということがよくわかる客層だった。

きっとピエモンテの家庭料理だろう、アンティパストミストも牛肉のツナソースかけなど、濃い味のソースを使ったもの、イワシを是非試すように言われて来たので、イワシを注文すれば、妙な顔をされ、持ってきたのはイワシのオイル漬け、山盛りのバターで、後でこれがピエモンテ風なのかと質問すると、『オイルサーディンはパンにバターを塗って食べるのは世界共通だろう?』と言われる。んん、担当のウエイターに恵まれなかったらしい。

アンティパストがすっかりお腹にたまったせいで、プリモのフォンドュのリゾットになったらとてもつらくなった。お米の焚き具合も丁度良い具合で味も良かったし、グレッグの注文したタリアテッレも美味しかったのだが、バターたっぷりのソースだったので、セコンドの前にすかッり満腹感を味わってしまった。

確かに美味しかった。だが私たちの頭のなかは『トリュフ』と『ボリート・ミスト』のことで一杯、中心地からタクシーをとばしてここまで来たのに、『トリュフ』のトも見当たらないことに、ついでに到着したときの空腹も手伝って、最初に少しがっかりしまったのだ。

ま、いつも思うが、レストラン探しは空腹時に行わないほうがいい、絶対に冷静になれないからだ。

デザートにナシの洋酒漬けがあったようだが、オーナーには失礼だったが、それも注文せずに、お勘定をお願いした。

ホテルまではトラムを使ってみることにした。しかし中心地から駅方面に行くときもそうだったが、グレッグが行き先を確かめずに停留所に止まったトラムに乗りこむ、イタリア人特有の習性があることを知らずに後をついていってしまったので、帰りはホテルまでたどりつけるかどうかも心配になってくる。第一自分たちが一体どこにいるのかも不明だったのだから。案の定ちっともトラムは来ない。

人気のない郊外の停留所でトラムを待っていたのは私たち旅行者だけで、ようやく着いたトラムもかなり空いていたが、駅へは無事到着。そこからは乗り継ぎの停留所を探し、ほぼ迷うことなく帰宅。

夜がふけても相変わらず交通ラッシュで、行き交う人々も多い。都会です、トリノって。