2021年4月20日

タタール人の砂漠 

ペルージャ時代のイタリア語学習の教科書にほんの一部が掲載されていたことでブッツァーティを知った。簡単な著者紹介文から興味を持っていた作家のひとりだったが、長いこと邦訳を読もうという気になれないでいた。彼の少し皮肉的ともユーモアともいえるフレーズは、イタリア語でも私にはやや飲み込みが難しい分野でもあったせいである。

近頃やっとイタリア人に慣れてきたのかもしれない。(今更言うかな?)「そのココロは?」という部分が少しづつ理解できるようになってきて、日本語になっていたところで、彼らの思考や言葉が想像ができるようになってきたらしい。


「タタール人の砂漠」は砂漠の要塞で、敵を待ちながら緊張と不安の一生を過ごす主人公ジョヴァンニ・ドローゴの話である。彼は少し生真面目で羽目もはずさないが、わずかに野心もある地味な軍人のひとりである。軍人という職業を選択した理由も、これといった目的があったわけでもなく始まり、大きな理由もなく留まる。


砂漠という環境で孤独で単調な生活の繰り返し、日々の積み重ねでしかない人生を送っている。それでも人生の中で幾つかの出会いや別れ、アクシデントや悔いなどがあり、喜びや楽しみに多くは恵まれない平凡なものである。


いつ攻めてくるかしれない敵軍を待ち、毎日緊張と不安を抱えて大半を過ごし、やがて既に力も気も衰えた老人になる。戦うべき時に戦う能力も体力もなく呆然とする。


ジョヴァンニ・ドローゴの人生そのもののように、物語も単調に語られていく。彼の人生とは同じでも似通っているわけでもないだろうが、限られた環境のなかでの先の見えない不安やあせり、誰にでも全く起こりえないとは言いきれず、思わず共感してしまう不思議な物語である。


2020年のロックダウン中、コロナ禍の単調で不自由な毎日とどこか共通するなと思いながら読了した一冊。書き溜め下書きが見つかりました(苦笑)


#dinobuzzati #buzzati #ブッツァーティ#読書感想文 #covid 


2020年4月22日

遠い太鼓 #村上春樹 

村上春樹、しばらく読んでいませんでした。(お恥ずかしながら)ブレーク??年後に在伊となり日本でのブームに乗り切ら(れ)なかった。イタリア語にも翻訳されているので友人たちからHaruki Murakami の評判は聞いていたにもかかわらず、ついに初期作品以降は読まずじまい。
20年ぶりくらいの再会、と言っていいものか、、、

このエッセイ本は、著者が1986年から3年間のギリシャ・イタリア滞在中の旅日記、大人になってからの海外移住体験を綴っている。私も実は”大人になってからの移住組”で、在伊にいたる自分自身と、かなり共感するところもあったわけで、なかなか面白く読めた村上春樹でした。

彼の翻訳が世界に受けた理由は勝手に、 ”原文が翻訳文しやすい文章だからではないか、つまり主語、述語、修飾語が完璧にあり、しかも表現の仕方もものの見方も、外国語を習得している人のやり方で、だからこそ翻訳文は内容が伝わりやすいのではないか” とずっと思っていた。

しかし今回はちょっと見方が変わったかも。それ以上に、もともと観察力が鋭敏でなければ書けない文章に違いなかったのだ。多くの人に受け入れられるというのは、当然幸運もあるけれど、そうでした、才能がなくっちゃね、今更ながら、お恥ずかしながら言うけど。

それはともかく、イタリア人やイタリアに対する観察、非常に的を得ている。若干付け加えると、例えばジョッガーがお洒落であること、一人では走っていない、にはニンマリしたが、実際スポーツジムに通っても、皆どうでもいい格好では現れない。これはスポーツに限らず、イタリア人はどんなイタリア人でもファッションセンスがいい。普通のおばさん、おじさん、子供でもなぜか。だからどこの国に行ってもイタリア人はすぐわかる、 「お洒落なのがイタリア人」。そして、 グループ行動するの好きらしい、「団結」してより強く固まる、いい方にも悪いほうにも作用する。

ローマ滞在においては、盗難を常に心配していることなどは、きっと30年後の今も同様だろうし、あるいは、最近のニュースを聞いているともっとひどいかも。

イタリア人が異常なくらい食に関して固執していること、イタリアという国が居住するところとしてはこりごりでも、何度か訪問したいと思う気持ちは100パーセント共感する。

追記:長いこと下書きに眠っていた感想文、ついでにアップします。感想文は書いている途中だったかも。何年か前にお友達が貸してくれてた一冊。だからと言って、それ以降小説に関しては初期の数冊しか読んでない。なぜかファンタジー映画という感じが受け入れられない理由のひとつ。またその後、翻訳された短編も見つかって再読したり、大昔のエッセイも何冊か読んでみたが、これほど観察していると思わせたものはなかった。
まあ、イタリア滞在はそうでなくても刺激が強いから、観察も鋭くなるはず、なんだけど。

2020年4月17日

#帰れない山 #Le otto montagne


帰れない山」 パオロ・コニェッティ著・関口英子訳

良本が好きそうな友人には思わず薦めた、昨年前半に読んだいち押しの一冊。
どうやら翻訳がよく、最初に日本語で読もうと思ったが、入手を待てずに言語版を購入した。そうしたらイタリア語がとても美しいのだった。私のイタリア語レベルで断言するのもおこがましいが。

まず主人公が山男たちであるということや、山岳地方の情景などは私にはとても近しいこともあるから、ほぼ共鳴できると錯覚することばかりだった。山を愛する北部の男たちは彼ら共通の顔つきなんかがありそうで、朴訥な話し方や地方独特のアクセントがあり、それゆえに親近感を持ちあったりする。

そして父と子、男友達の関係が実にいいのだ。それぞれが心情を表に出すことに慎重であり、そのことにより間違えたりすることもたたあるが、ただそれぞれの方法で人生を進めていく。個人的に、こういうちょっと内向的で難しい人たちに興味を持つ傾向がある。

母親は自然で押し付けがましくなく、無理のない女性で、息子と母親のほどほどの距離を保つことにうまく成功している。女友達は、彼女よりもう少し反社会的でモダンであったりする、というような彼らの身近な女性たちも実に思いあたるふしがある。

帰省して、ようやく読んだ日本語版も美しい日本語で翻訳されていてこちらも好ましかった。在伊の身からすると、イタリア語の方が、話し方やアクセントまで想像できてしまうところがあり、もっともっと親しみを持てるというメリットはあったかもしれない。

#帰れない山 #パオロコニェッティ #読書 #leottomontagne



2019年8月13日

#楽園のカンヴァス

私にはやや珍しい部門「ミステリー」なのだが、「楽園のカンヴァス」(原田マハ著)はなかなか興味深く、面白かった。ニューヨークの#MOMA、#大原美術館も実際に行ったことのある場所、#ルソーの絵も何枚か観ているということから、一層親しみが持てたのかも。



それでふと思い出したのだが、最初にルソーの絵を鑑賞したのは、#諏訪湖湖畔にある#ハーモ美術館だった。一休みするにはちょうどいい、景色の良い小ぶりの美術館で、私的には「#花」がもっとも惹かれる作品だったことを記憶している。

梅雨期のバカンス中に読んだ一冊である。


2019年2月4日

Creedence Clearwater Revival - I Heard It Through The Grapevine

シンプルで演奏しやすそうだけど、この哀愁はなかなか出せない。


(思い出したように更新するのを反省)
バンドのレパートリーの一曲。聴くといい感じなんだけれど、実際歌うと、いつも不満が残るんだなぁ、、、難しい〜